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霞が関の「働き方改革」に向けた複眼的視点

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  • 人事政策

 最近、国家公務員の人気低迷を伝える報道が目につく。国家公務員の志望者数や受験者数の低下傾向は全体的なものだが、とりわけ近年では「キャリア」と呼ばれる、官庁の幹部候補生を採用するための総合職試験の不人気が問題視されるようになってきた。総合職(旧Ⅰ種)試験の申込者数は1996年度には45,254人(旧Ⅰ種区分)に達していたが、直近の2022年度には18,295人(総合職区分)となり、半分以下にまで減少している(人事院2023:87図1-1)。この四半世紀の間に少子化が進み若年人口が減少していること、また2012年度には試験制度が変更されていることなどから、上記の実数のみでは単純に比較はできないものの、趨勢としては、国家公務員とくにキャリア官僚の人気が低下傾向にあることは間違いない。それに加えて深刻なのは、国家公務員の離職者が増えていることである。とくに30代以下の若手職員の離職の増加が大きな問題となっている(人事院2023)。

国家公務員の志望者数や受験者数の推移
国家公務員の志望者数や受験者数の推移 資料:人事院「令和4年度 年次報告書」

 こうした状況を受けて、人事院は近年、総合職試験の実施時期の前倒しや試験区分の見直しなど採用試験制度の改革を通じて人材獲得に向けた新たな試みを行い、加えて国家公務員の長時間労働の是正、ワークライフバランスの推進といったように、労働条件の改善にも取り組んでいる(人事院2023)。とくに、若年層の国家公務員離れの要因として過剰な業務量や長時間労働といった労働環境の悪さが挙げられることが多く、霞が関の「働き方改革」は官庁全体にとって喫緊の課題であることは間違いない。
 しかしながら、労働環境の改善は職務に対する「不満」を抑えることはできたとしても、「満足」の度合いを高めることには必ずしも直結しない。そう説くのが、フレデリック・ハーズバーグの「動機づけ―衛生理論」である(ハーズバーグ1968、1978;伊藤2003も参照)。動機づけ―衛生理論は経営学や組織論において1960年代に提唱された理論であり、今や古典的な位置づけがなされているが、主張の骨格は今日でもなお色褪せてはいない。
 動機づけ―衛生理論の最も重要なポイントは、職務に対する「不満」と「満足」とは単一次元上の要素に起因するわけではなく、それぞれに独立した別個の要因が存在すると指摘した点である。不満をもたらす要因を取り除けば、不満を抑えることはできる。しかし、不満の解消は職務の満足をもたらすことを意味しない。逆に職務に対する満足度を高めることができたとしても、それだけでは不満を抑制することにはつながらない。ハーズバーグは、「職務満足の反対は職務不満ではなく、むしろ没職務満足であ」り、「職務不満の反対は没職務不満で、自分の職務への満足ではない」と述べている(ハーズバーグ1968:89)。職務への不満と満足は連続線上に並ぶ単一次元の要素ではなく、別次元の事柄だというのである。
 どういうことか。職務に対する不満に関係するのは会社の経営方針、職場の人間関係、労働条件、給与といった要因である。これを「衛生要因」と呼ぶ。例えば、長時間の残業が続くような職場であれば、労働者は仕事に不満を覚えるだろう。これに対して何らかの工夫を行い、長時間残業を減らせば労働者の不満は軽減される。しかし、だからといって仕事に満足感を覚えるわけではない。なぜなら、不満をもたらす要素は職務において外在的なものだからだ。仕事への満足感は外在的要素ではなく、内在的要素によって生まれる。内在的要素としては達成感、仕事それ自体、責任、成長などが挙げられる。不満をもたらす衛生要因と対比して、満足を引き起こす要因は「動機づけ要因」と呼ばれる。衛生要因という仕事を取り巻く外的環境にだけ働きかけても、仕事そのものに対する動機づけにはならないのである。
 なぜか。その理由を、ハーズバーグは人間の基本的欲求の多面性に求める。人間は、飢えや苦痛を回避したいという生物としての根源的欲求と、自身の能力を開花させ精神的な高みを目指そうとする、他の生物とは異なる独自の欲求とをあわせもつ。衛生要因は前者に、動機づけ要因は後者にそれぞれ影響する。人間の多面的欲求を満たすには、衛生要因と動機づけ要因の双方に目配りすることが大切になる。
 労働環境は悪くない、だが仕事自体には何の興味も抱けず仕方なくこなす毎日。確かに、「不幸」ではない。しかし、「幸福」とも違う。仕事の達成感やそれを通じた成長を感じられてこそ人は幸福を得られる。無論、不幸を減らすことも大事である。最良の職場とは、不幸を最小化し、それと同時に幸福を最大化する、そういう職場である(ハーズバーグ1978:91-93)。「働き方改革」による労働環境の改善は国家公務員の不満を和らげることはできる。しかし、満足と幸福を得られるようにするには、人としての成長や達成感を感じられるようにすること、動機づけ要因に働きかけることもまた必要である。
 ハーズバーグの古典的理論は仕事に対する「不満」と「満足」には別々の要因が作用していることを示し、双方に目配りする複眼的視点が重要であることを教えてくれる。霞が関の「働き方改革」に必要なのは、そうした複眼的視点ではないだろうか。

参考文献
伊藤健市(2003)「ハーツバーグの動機づけ―衛生理論」渡辺峻・角野信夫・伊藤健市編『優しく学ぶマネジメントの学説と思想』ミネルヴァ書房、122-133頁。
人事院(2023)『令和4年度 年次報告書』 2023年11月20日閲覧。
ハーズバーグ、フレデリック(1968)『仕事と人間性――動機づけ―衛生理論の新展開』(北野利信訳)東洋経済新報社。
ハーズバーグ、フレデリック(1978)『能率と人間性――絶望の時代における経営』(北野利信訳)東洋経済新報社。

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執筆者

西岡 晋

東北大学公共政策大学院院長

1998年早稲田大学社会科学部卒業、2007年早稲田大学大学院政治学研究科博士後期課程単位取得退学。その後、金沢大学人間社会研究域法学系准教授、同教授等を経て、2015年より東北大学大学院法学研究科教授、2022年より東北大学公共政策大学院院長。この間、2019~21年にベルリン・ヘルティ大学院客員研究員として在外研究に従事。専攻分野は行政学・公共政策学で、主な研究分野は福祉国家研究や政策過程分析など。2021年に単著『日本型福祉国家再編の言説政治と官僚制:家族政策の「少子化対策」化』(ナカニシヤ出版、2022年日本公共政策学会著作賞受賞)を刊行、また共編著として『揺らぐ中間層と福祉国家:支持調達の財政と政治』(ナカニシヤ出版、2023年)、『行政学』(文眞堂、2021年)などがある。